ぼんぼんへいぼんぼん

もう誰のオタクにもなりません

「好き」ってなんですか

 

そもそも、「好き」ってなんですか?

 

前から思っていたけど、最近よく思うようになった。

40.0℃のおかげで脳がバグったのか(?)気付いたことがあるので書いておこうと思う。きっと数日後には忘れているだろうから。

 

サカブクロ公演を観て、簓が言ってること分かりすぎるんですが、、と思ってドラパを聞いた。舞台では「人のことを信じられなくなった」と言っていたが、ドラパでは親の離婚が原因だった、ことも話していた。いやいやわたしじゃねーか、となった。なんで舞台でその設定カットしちゃったんだよと思ったけどそこまで話されてたらあれ以上に泣いてたと思うのであれでよかったと思うことにする。

簓が言ってたみたいに、血が繋がっていてもこんなに簡単にいなくなるし他人になるしなかったことにされてしまうんだなと、幼いながらずっと思っていたのかもしれない。わたしは何が好きで何が楽しいか、あまり分からない。何が好きだったか、何が楽しかったかの記憶もない。関係あるか分からないけど、寒いか暑いかもあまり分からないし、痛みにも鈍感、美味しいか美味しくないかもあまりピンとこないことが多々ある。これってもしや小さい時から自分の意思ではなく、嫌われないように、否定されないように無意識のうちに小さい時から周りに合わせて生きていたのでは?と思ってきた。

現場に行くのも、お友だちと楽しい時間を過ごすためで本当にわたしはその現場に金と時間をかけて行きたかったのか、考えると分からない。でも決して楽しくないわけではない。だってわたしがそうしたくてしているんだから。現場に限らない。ごはん行こー!ってなって、別に食べたくないかなと思ってもそれで嫌われるのも悲しいし、行って楽しいことは分かっているけど果たしてこれはわたしが本当にやりたいことなのか、考えだしたら分からなくなる。当たり前にお友だちは現場に行きたくて行く、わたしはお友だちと行くこと、に意味を持っていたらずれが生じるのはそりゃそうなんだよね。

人に期待しても疲れるだけだ、なんてもう嫌ほど経験しているのにやめられない。ひとりで楽しめることもあるけど、誰かがいないとできないことだってたくさんある。例えば、誕生日に自分でケーキ買うのと、お友だちが買ってきてくれるのとでは全然違う。一緒にケーキ食べたいなーと思っても、それは自分が思っているだけで向こうがそう思っているとは限らない。むずかしい。思っていたのと違うからといってイライラするとかそういうことではなくて、無意識に期待してしまう自分に疲れる。

 

自分がやりたいように生きていけばいいと思うし、そうしないと時間もお金ももったいないなと思うようになったけど、そうすると数少ないお友だちがさらに減っていくような気がして怖くなる。そして結局変わらない。そしてわたし自身の好き、楽しいが分からないから落ち着けるところもない。

 

わたしは誰が好きで、何が好きで、何が楽しくて、何が嬉しいのか、わたしのことなのにわたしには分からない。

 

どうやって生きていけば少しでも楽に生きていけるんだろう。

 

「好き」ってなんなんですか?

 

 

早く元気になって、肉とケーキが食べたい。